「包括的性教育とは~いま、なぜ必要なのか~」

4/25(土)中野区の野方区民活動センターにて行われた、中央大学の池田賢市先生による講演「包括的性教育とは~いま、なぜ必要なのか~」に参加しました。(主催:中野区生活クラブ運動グループ地域協議会)
池田先生はフランスにおける移民の子どもへの教育政策が専門です。インクル―シブな教育制度に改革をしたフランスの事例などをもとに、共生や人権を主軸に研究を進めています。
池田先生は子どもの権利を学校で実現するために何が必要なのか、社会をより民主的で人権が保障されたものに変えていくために何が必要なのかを考え、「包括的性教育」の観点から学校を検証し、課題を具体的にしようとしています。

<学校が想定する子ども観>
1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」によって、「子ども」は『弱くておとなから守られる存在』という考え方から、『ひとりの人間として人権をもっている』という考え方に転換しました。日本は1994年に条約に批准しましたが、子どもの権利は日本の学校ではなかなか浸透していません。理由として、権利ばかり主張していると「わがまま」になってしまうという懸念がよく挙げられます。教育学においても、子どもは未熟である、だから教育で完成させなければならないという思想が根強い状態にあります。

<赤ちゃんにも意見表明権がある>
子どもの権利条約の基本である4つの柱には、
①差別の禁止
②子どもの最善の利益
③生命、生存及び発達に対する権利
④子どもの意見の尊重        があります。
生まれたばかりの子どもにも意見表明権があり、どんな年齢や成熟度であっても大人はその意見を考慮し、理解していくようにしなければならないとされています。しかし、日本の現状として、自己に関わるあらゆる事柄について、自由に意見を表明する子どもの権利が尊重されていないと、国連・子どもの権利委員会から指摘を受けています。

<学校における性教育>
現在、学校においてばかりではなく、社会にはあらゆる「性」をめぐる事件が絶えません。その背後には、人間を「性」によって支配しようとする「文化」があり、「伝統」の名で世間に染みついています。日本では、一般的に性教育=性交教育として受け止められる場合が多く、特に性感染症から身を守る教育などから、「純潔教育的性道徳」に進んでいる現状にあります。結果、性に関する重要な知識やとらえ方から子どもたちが遠ざけられてしまっています。
池田先生は、学校で包括的性教育をはじめるには、学校全体が人権文化によって支えられていなければ、どんなに教材や方法を工夫したとしても、「性」をめぐる子どもたちの不安は解消しないと考えます。性をめぐる問題には以下のような人権問題と深くかかわる大きな壁があるといいます。
①「寝た子を起こすな」論(=放っておけば自然に差別・被害は解消する)
②「勘違い(考えすぎ)」論(=差別・被害は気のせい、思い込みに過ぎない)
③「被害(被差別)者責任論」(=差別・被害を受ける方にも責任がある)
こうした考え方は、学校というシステムの中でその思考がより強まっているのではないかと危惧しています。

包括的性教育は人権教育であり、「生きること」そのもののあり方を人権の観点から問うものです。池田先生は、これまでの人権教育の在り方を性教育の観点から読み解いていく作業が、「包括的性教育」だといえるかもしれない、と話します。包括的性教育を進めることで、自らの生き方に自覚的になり、それを社会的関係の中で見つめていく事を大切にできるようになるとのお話でした。

「包括的性教育」という言葉が世の中に登場して15年以上経ちますが、性教育という言葉を聞くと、身体や生殖の仕組みを思い浮かべる人がほとんどだと思います。多様性の認識が広まってきている今、生きるための教育として、包括的性教育を進めていく必要があると感じました。

 

<包括的性教育を公教育で実践を>

現行の学習指導要領では、性交を含めた妊娠の経過は取り扱わない、いわゆる「はどめ規定」があることにより、教員が性に関する具体的な知識を伝えられず、指導の障壁となっています。一方、子どもたちは性に関する正確な科学的知識の取得や人権意識の醸成の機会を喪失したまま、偏った、あるいは誤った情報を、手探りで得ながら頼りにしているのが現状です。それが近年の望まない妊娠や子どもの性被害・性加害、性搾取や性感染症の増加にもつながり、対策が急がれます。
東京・生活者ネットワークは、全国市民政治ネットワークと連携し、7月1日に「包括的性教育を公教育で実践し、子どもの学ぶ権利の保障を求める要請書」を提出しました。