平和を作り続ける

故 中村哲医師をご存じの方はたくさんいらっしゃると思います。
先日DVDを見る機会があったので、少しお話ししたいと思います。

ペシャワール会パンフレット

中村哲医師は、1984年パキスタンのペシャワール・ミッション病院ハンセン病棟に赴任、1986年よりアフガニスタンからの難民診療を本格的に開始し、1998年には活動拠点となる「PMS基地病院」を建設しました。2000年に入り、干ばつと戦乱から多くの国民が難民化するなか、栄養失調が急増。清潔な水の確保が急務であると井戸を掘り、また緊急食糧配布を行ない2002年2月までに27万人を支援しました。

2002年からは、「緑の大地計画」として、干ばつで砂漠化した農地を復活させるため、アフガニスタン東部にて用水路建設を開始しました。

 

≪砂漠を緑の大地に≫

水は命の源です。命の水を循環させる灌漑用水路づくりには、日本の伝統工法を選びました。

用水路は蛇籠工や柳枝工を採用し、取水部には、中村哲医師のふるさと福岡県朝倉市の山田堰。大掛かりにコンクリートを使ったりせず、もしも壊れた時にも、現地の人により現地の材料で補修できる工法です。

2020年までに16500haの耕地を復活させ、65万人の農民の生活を支えています。

そこに命をつなぐ生活と仕事があれば、人々は戦いなどに参加することなく、村と村の結びつきも、用水路の管理を行うことで絆が深まっていく、DVDはそんな様子を伝えていました。

2002年から約20年間、人の手により堀り進められたこの事業・・・みなさんはどのようにお考えでしょうか。20年と言えば、子どもが生まれて成人する時間の長さがありますが、よく「子どもたちの世代に受け渡す環境」などという言い方をしますよね。何百年先の未来ではなく、20年という時間の流れでコツコツ進めることでも、人の手でできることは案外あるのかもしれません

 

ロシアとウクライナの状況を見ていると、平和は一瞬にして壊されてしまうこともあり、隣国に向けた国家による理不尽な暴力は、許されるものではありません。今も砲弾やミサイルの落とされる音の中で恐怖に震える人たちのことを思うといたたまれない思いですが、

平和を作り続けることで対抗していくしかない。そう思います。

ウクライナの人々に、またロシアの国民にも、それからアフガニスタンにも、一日も早い平和の継続が訪れることを祈ります。

 

偉業を成し、アフガニスタンの人々からも信頼され尊敬された中村哲医師は、非常に残念なことに、アフガニスタンにて銃弾に倒れご逝去されました。(2019年12月4日)

しかし、中村哲医師の思いは多くの人々に受け継がれ、今も現地や日本で活動は続き、また、灌漑用水路や井戸は現地の人たちの命を繋ぎ続けています。
(報告:阿南)

(文中の年号や数字は、ペシャワール会2021.1月発行のパンフレットより。ペシャワール会は、中村哲医師のパキスタンでの活動を支えるために設立された団体です)